{呪}日本の歴史上最強の陰陽師!安倍晴明

安倍晴明は本当に最強の陰陽師だったの??

◆安倍晴明の略歴

安倍晴明は、「陰陽道によって式神を操り魔を払い、呪術で闇を支配する稀代の大陰陽師」と呼ばれ、平安時代中期に朝廷を守り活躍したと言われています。
安倍晴明は、延喜21年(西暦921年)に大膳大夫安倍益材(だいぜんのだいぶあべのますき)の子として生まれた。
その後、当時の陰陽道の大家賀茂氏の賀茂忠行(かものただゆき)、保憲(やすのり)親子に師事し、後に天文博士、大膳大夫、左京太夫、播磨守などを歴任。
寛弘2年(西暦1005年)に85歳で亡くなったとされている。

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◆安倍晴明伝説

安倍晴明の伝説は、後世さまざまな書物に書かれ有名であるが、その実態は、史実としては何一つ証拠となるものが残されていない。
安倍晴明は、史実よりも伝説の中に生きている存在である。

その伝説をかいつまんで紹介しよう。

  • 安倍晴明の母親は化生(狐といわれている)である。
    これは、和泉の国の信太国に住む狐が遊女に化けて旅をしていたとき、晴明の父安倍益材に助けられ、狐は益材の妻になり、晴明が生まれたとされている。
  • 晴明が幼少の頃、賀茂忠行の夜行に供をしている時、夜道に鬼の姿を見て忠行に知らせた。
    忠行は晴明には鬼が見えるほどの優れた才能をもつことを悟り、陰陽道のすべてを教え込んでいる。
  • 陰陽道の大家となった晴明は、ある時播磨国から来た陰陽師に術比べを挑まれたが、いともたやすく懲らしめ、その陰陽師も自分の指揮下に入れた。
  • 仁和寺の寛朝僧正のところで、同席した公卿達に陰陽道の技でカエルを殺してみせるようにせがまれ、術を用いて手を触れずにカエルを真平らに潰した。
  • 晴明の家では式神を家事に使っており、家には晴明しか居ないのに勝手に門が開閉していた。
  • 晴明がある時、カラスに糞をかけられた蔵人少将を見て、カラスの正体が式神であることを見破り、少将の呪いをといてやった。
  • 藤原道長が可愛がっていた犬が、ある時主人の外出を止めようとした。 驚いた道長が晴明に占わせると、晴明は式神の呪いがかけられそうになっていたのを犬が察知したのだと告げ、式神を使って呪いをかけた陰陽師を見つけ出して捕らえた。

  • などなど、まだ蘆屋道満との方術比べなど、数え上げたらきりが無いほどの伝説が語られています。


    ★晴明神社参考動画

    ◆安倍晴明の死後

    安倍晴明は、賀茂忠行に陰陽道のすべてを習い、土御門陰陽道の開祖となり、それまで賀茂家が独占していた陰陽道を2流に分けました。

    晴明は生前でも、一条天皇や藤原道長のために数々の呪法を行い天皇や権力者を守る呪的ボディガードとしての名声は高かったと考えられるが、超人的な力を持つ陰陽師として崇拝されるようになったのは、没後しばらく経ってのことである。
    実は、安倍家に関係する陰陽師たちが、加茂家とライバル関係にあるので、開祖の晴明を神格化するために数多くの伝説を作り出したと言われている。
    そのため、伝説が数多く残され「稀代の天才大陰陽師・安倍晴明」が生み出されたと考えられている。

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