{呪}明治の日本を震撼させた超能力者「御船千鶴子」

御船千鶴子の超能力:透視能力は本当にあったのか??

◆超能力者御船千鶴子の略歴

映画「リング」の貞子の母のモデルとなったと噂された事で、多くの人が知る所となった御船千鶴子ですが、彼女の超能力に関する略歴はどうなっているのでしょうか?
何故彼女が明治の大超能力者と呼ばれるようになったのか、紹介しようと思います。

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御船千鶴子は、生まれつき難聴があり成人する頃には左耳がほとんど聞こえなかったそうです。
幼少の頃から成人するまでは耳の故障以外普通の人生を送っていた千鶴子は、22歳のとき、夫の財布から無くなった50円が姑の使っていた仏壇の引き出しに入っていることを言い当てたことから、千里眼の兆候を示し始めました。

その後、実家の兄に「お前は透視ができる人間だ」と催眠術をかけられたところ、優れた結果が出たので修練を積むこととなりました。
そして、日露戦争時に第六師団が、撃沈された軍艦・常陸丸にたまたま乗っていなかった事を透視したり、三井合名会社の依頼で福岡県大牟田市にて透視を行い、万田炭鉱を発見して謝礼2万円(現在の価値で約2000万円)を得るなどしました。
また、樹皮の下にいる虫の存在や海で紛失した指輪の場所を言い当てたりしたといいます。
数々の実績を上げた彼女は、人体の透視で病気を診断したり、手をかざして治療する心霊治療までも試したりしたそうです。

こうして有名になった千鶴子は、東京帝国大学(現:東京大学)文化大学の福来友吉助教授などに、研究されるようになり、福来教授は千鶴子の透視能力について学会で発表し新聞などで報道され明治の人々を震撼させることとなりました。

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超能力の実験は、明治43年2月19日、4月9日、4月25日など数度に分かれて行われ好結果を出していたものの、同年9月14日にジャーナリストを交えた公開実験に望み、その結果は、試験物のスリ替え事件によって、問題の「千里眼」能力の真偽に対する答えを出せないままに、話題性だけが一人歩きする形で幕を引くこととなった。
このあたりから、千里眼ブームはピークを向かえ、その後明治44年1月19日に御船千鶴子は自殺してしまい、結局千里眼は、科学的には証明されずにブームは去ってしまった。


★超能力参考動画
◆心霊スポット
◆幽霊の呪い
◆恐怖の心霊写真
◆都市伝説